それでも体調が推しで左右されるのはどうにかしたほうがいい

歳を重ねるにつれて、はしゃぎっぷりに容赦がなくなってきた。

 

小学生の頃、20代になれば、結婚などのライフイベントを人並みにこなして生きているものだと思っていた。

中学生の頃、思春期のひねくれた思考で大人はつまらないものだと思っていた。

高校生の頃、オタクはいつか辞められると思っていた。

 

それがどうだ。残念だが全部ハズレだ。いや、仕事はつまらないし嫌だし、人間関係のめんどくささは歳を重ねてからの方が痛感しているが。

昔の、嫌にすかした捻くれ者の私に、今の私の姿を見せたら拒絶するだろうか。

推し(歴史上の人物)の墓の前でひっそり泣く私を。推し(韓国俳優)のために語学のセンスがないのに韓国語を勉強し始めた私を。

推し(漫画のキャラ)の誕生日にケーキを買って祝う私を。推しのためなら金を惜しまない私を。

 

でも、お前は根底は変わっていないぞ、と伝えたい。

 

小学生の頃、私は星座オタクだった。星座に伝わる神話を覚えて、星座早見表を見てはニヤついていた。そんな子供だった。

ある時、誰に言われたわけでもなしに「星座新聞」なるものを作り始めた。今の季節に見える星座、天体の仕組み、豆知識…。それらを手書きでA4用紙に新聞の体裁で書いては、勝手に学校の廊下に貼ったのだった。

今でいうオタクのプレゼンである。

自分の好きなものの素晴らしさを共有したい。その一心で「星座新聞」を作っていたのだろう。

そしてある日、クラスも学年も違う子から「次の号まだ?」と声をかけられたのだ。

「えっ?読んでるの?」「うん、まあ面白いよ」

 

今思えば、私の「好きなものに熱中する喜び」「好きなものへの感情を共有する喜び」はここが起点だった気がする。

 

落ち着いてスマートな大人になりたいと思っていた私へ。

お前全然落ち着いていないぞ。推しで一喜一憂どころか、五億喜たまに憂ぐらいしているし。

そして何やかんや楽しく生きているぞ。オタクは辞めれていないぞ。

 

さて、私が何に熱中し、どう行動し、狂い、喜んだのか。備忘録がてら記していくことにする。

もう学校の廊下に勝手に貼ることはしないが、ネットの世界で勝手に綴ることは許されたい。